平成14年5月16日未明・柳家小さんは永眠致しました |
平成14年1月9日(水)に撮影した ものです。上野鈴本演芸場の夜の部の 打ち上げで、食事が始まる寸前のスナ ップです。こんなに笑った顔は久し振 りです。数年来記憶にない笑顔です。 本当に旨そうに『うな重』を食べてい ました。ニコッと笑って見えている歯 は自前の歯です。入れ歯が無いのが自 慢。肌の色は本当に白く、男でもち肌 というのも変ですが色白であります。 乾杯の酒を一口呑むと、ほんのり桜色 になるのが特徴でした。師匠は本来、 あまり酒は強くなかったんです。 |
|
平成14年1月9日・食事後の小さん 左から・小雪・正楽・小さん・小袁治 鈴本お席亭・小三治(敬称略) |
楽屋で支度をする小さん/右は孫の花緑 |
平成14年1月4日・鈴本初席の高座 |
平成12年7月31日の落語協会成田総寄合 いでの小さん・金馬両師匠のスナップですが …二人の間に誰か居ます。誰だと思います か?『師匠と二人で写真を撮るなんてよゥ…』 と、云いながら、本名・郡山剛蔵さんがお邪魔 に入りました |
左の写真は小袁治が真打に昇進して鈴本の楽屋で 撮影したものです。昭和56年9月上席でした。 口上では、林家彦六師匠・柳家小さん・立川談志 師匠が4人の為に厳粛なる挨拶がございました。 林家九蔵(現・三遊亭好楽)柳家さん八・小袁治 土橋亭里う馬(立川流)のそれぞれの師匠に当た るから連日お付き合い下さった。彦六師匠は初日 の高座では、「かっぽれ」を踊るほどの気の入れ ようで、『御大将、張り切ってるなァ…』と、云 った、小さんのニコニコした顔を忘れる事が出来 ません。 |
右の写真が私のアルバムにありました。 どうして入っていたのか不明です。この 写真は私が噺家に成る前の写真です。 左から柳家小さん、古今亭甚語楼、桂文 楽(先代)春風亭柳枝(八代目)人形町 ・末廣の楽屋ですね。写っている方は全 員ご他界しました。人形町の末廣の楽屋 は手前のお囃子・太鼓のある方と奥の方 にも楽屋があってそこは偉い師匠方が居 るところ。前座は働くので入りますが、 若手は恐ろしくて奥の楽屋へは参りませ んでした。この写真の故・小さんは一番 年下の筈です。 |
◆思い出◆クリック ●平成13年の正月新年会 ●柳家小さん宅の懐かしい写真 ●小さんが大好きな目白の煎餅屋(味の店) ●平成13年圓朝まつり ●平成13年7月31日成田総寄合 |
マックニュースのコピーです
平成14年7月3日(水)七七忌 | |
圓歌会長 |
柳家小さんの七七忌で納骨をした。小さん一門と落語協 会の幹部が勢揃いした。圓歌会長は衣を着用していた。 ★納骨をして、師匠の長男である三語楼師と、いつもの 仲間(小燕枝・小団治・さん八・小袁治・小里ん)等で 銀座・新橋界隈で、師匠のゆかりの店で「お清め」をし た。少々、清め過ぎて、ボ〜ッとしてしまう。完全に呑 み過ぎだ。明日からの片山哲さんの選挙応援は二日酔い 状態で行くのか?実に申し訳ない事だ。★久し振りに、 仲間が揃って、忌憚のない意見を述べた。言いたい放題 の状態を振り返って見ると、故・柳家菊語楼兄さんの、 三回忌(本当は四回)と同じ状態だ。今回は皆電車のあ る内に帰宅した。あの時は朝までだもんなァ。 |
平成14年5月23日(木) | |
寄席の日は毎年・6月第1月曜日となっている。今年は 6月3日(月)になる。ちょうど私が鈴本の夜席の主任 の時だ。★お席亭から当日配る団扇を拝借してきた。 柳家小さんが描いた『たぬき』だ。この絵が最期の絵に なってしまった。貴重なる『寄席の日』の記念品である ★6月3日(月)は東京の寄席は入場料を半額。ちなみ に鈴本は、1300円にて入場出来る。そしてもれなく 右のウチワを差し上げる事になっている。寄席ファンは 絶対に来るべきだ。★この団扇が『寄席の日』に配ると 知っていたら、小さんの葬儀の報道で触れてもらいたか った。相当、宣伝に成っていただろうに…、残念だ。 ★落語協会のカレンダーも平成14年が多分最後になっ てしまったと思う。現存のカレンダーはもう誰にもやら ない事に決めた。勿体無いもんね。 |
平成14年5月20日(月) | |
永藤パン |
鈴本演芸場の中席千秋楽だ。小さんの葬儀の為寄席の出番は 大幅に変更されたはず。お客様にはご迷惑を掛けたが、仕方 の無い事だとお許し願いたい。★楽屋で会った市馬さん、小 満ん兄さんは少々お疲れのようだった。連日遅くまでお手伝 い頂いていたから無理もない。特に雪駄で立ちッ放しだった 影響でフクラハギ・腰が痛いと云っていた。私も同様である 。齢を重ねると翌々日に疲労がやってくるから始末が悪い。 ★遺族はもっと大変だ。朝早く三語楼兄さんから御礼の電話 が入った。労を労ってくれた。夜にはさん八兄さんからやは り労いの電話が入る。さすが、小さんの弟子たちは大した物 だと思った。★これから残務が山積になっている。落語協会 の事務局は大変だと思う。それに判断・相談に乗る副会長の 馬風師匠もこれまた大変だと思う。むしろこれからが本番だ ろうな。これは私も経験しているので想像が付く。何しろ二 千人からの弔問客の残務整理は想像しただけでゾッとする。 志ん朝師匠(3千人以上の弔問)で体験済みだから、多少は慣 れていると思うが…、とてもとても面倒な事ばかりである。 事務局に足を向けて寝られないなァ。事務局の皆さんありが とうッ!★上野・鈴本演芸場の近くに「永藤パン」がある。 しばらく店内改装で一時休業の貼り札が出ていたが、今日は テナント募集の札が貼ってあった。大正元年(1912年)創業 の店も幕を降ろすのか?良く事情が判らないが寂しい事だ。 ★腹が減ったので久し振りに「武蔵野」のとんかつを食べた 。ランチタイムだとロースカツ定食が1000円ヒレカツの 定食が1200円である。私は贅沢をしたくなって、ミック ス2種、エビフライ&ヒレカツ(1800円)定食を注文した 。実は武蔵野のとんかつ定食の楽しみはなめこ汁である。し かし、残念な事に豚汁になっていた。久し振りに来ると内容 が変わる。低廉な価格維持の為にそうなったのか?残念だ。 「武蔵野」の好きな所は値段の割りに美味しい事。味は良い と思う。それに料金が内税である★時々、料金が480円と してあって、実際に支払う時に『504円です』と、云われ ると騙されたような気持ちになるのは、まだ消費税に慣れて いない証拠だな。今度は武蔵野のロースカツを食べるか! |
平成14年5月18日(土)19(日)師匠小さんとお別れ | |
通夜・告別式を紋付袴で過ごした。特に雪駄で二日間立ち っぱなしだったので足腰が痛い。★通夜は夜通し師匠の棺 の線香を絶やすことなくお守をした。先輩から体力がある と褒められたが告別式が済んでから初七日の法要中は眠た くて眠たくて…★小さんの葬式は落語協会葬だったが、実 際は小さん一門が取り仕切った。馬風・小三治を中心に事 に及んだ。特に目立たない様に馬風足さんが陰で支えてい たのが印象的だった。また、馬風師のお内儀は小さんの弟 子の女房連の束ねをしてくれ、告別式の終了後、自宅まで 各弟子の奥さん連にお礼と労いの電話入れてくれ、女房達 は感激していた。苦労人の夫婦だけに神経の使い方が違う と思う。なかなか出来ない事だ。★戒名は師匠が生前、自 身で作っていた。それに乗泉寺・舛田日誓上人が「殿」号 と「勲」の2字を与えて「本行院殿法勲語咄日盛居士(ほ んぎょういんでんほうくんごとつにちじょうこじ=落語と いう話芸で人々に大きな喜びを与えた大きな存在、の意味 だそうだ。★小さんの兄弟弟子は本当に仲が良い。これは 小さんの人徳がなせる技だと思う。噺家でもあり武士(も ののふ)でもあるのだ。だからアザトイ事を嫌う。これが 小さん一門の気質だと思う。★小袁治が今回の葬式で印象 的だった事。@小せん師匠の弔辞は弔問を読むものではな く言葉であった。心がこもって素晴らしかった。 A目立たないが修業仲間が粉骨砕身良く働いた。名前を挙 げると…、柳家小団治(全てに関わる)柳亭金車・柳家さ ん八・柳家小里ん。特に小団治・さん八・小里んは精一杯 頑張ってくれた。ついでに私も頑張ったよ。 合掌 |
柱の陰で目立 たなかったなァ |
平成14年5月16日(木) | |
朝10時過ぎに後輩の柳家小里んさんから電話が あった。『兄さん、師匠が亡くなりました……』 小里んさんの云っている事が瞬時に理解出来なか った。「師匠って誰だよ?目白の師匠のこと?」 ★事情が良く判らない、第一報だった。目白の自 宅に来れば事情が判るという。★鈴本2時の出番 を済まして、目白の師匠宅へ行ったら…、入る事 が出来ない。マスコミの取材で道路は溢れかえっ ていた。不快感は否めない。通行が完全に遮断、 車・バイク・自転車そして歩行者の皆さんもひき 返している。犬の散歩をしていたご近所の人は犬 を連れたまま呆然としていた。15〜20分待っ て、強引に師匠宅へ入りこんだ。★二階の寝室の ベットに師匠はやすらかに寝ていた。どう見ても 眠っているようだ。『師匠ッ!そろそろ起きて下 さいッ!』と、云えば起きあがるかと思った…。 ★葬儀の予定は下記の通り。 記 ■通 夜 5月18日(土)・午後 6時より ■告別式 5月19日(日) 午後12時より ■会 場 渋谷・乗泉寺 渋谷区鶯谷町10−15 電話03−3462−9991 ●地図クリック |
ブラウザで戻って下さい TOPへ